崩す実力
毎日体操指導や呼吸指導を行っていますが、呼吸法は奥が深いものです。
「呼吸」というのは様々な健康法の究極の行き着く先の課題であり、今すぐに誰でもやっているものでもあり、この一般性と特別性の両立は面白いです。
一番重要なのに、一番身近で毎日やっている。一番大切な事は一番近くにあるという価値観にシンクロしますね。おそらく何でもこの法則があるのでしょう。
それぐらい身近で当然の様に行っている呼吸ですので、わざわざ整体に来てまで呼吸法をやるという事になると、多くの人が「何か特別な呼吸法を学べるぞ」「頑張って覚えるぞ」となるのも当然です。
確かに先人が残してくれた価値ある呼吸法を勉強して練習しますが、ここで最も重要になるのが「吐くとき」の思考です。
「頑張って呼吸法をやるぞ!」と思っているので、実際に頑張ります。しかし吐く時は頑張ってはいけないのです。仰向けに寝た体勢であれ、正座し態勢であれ、立った体勢であれ、息を吐く時は「崩れる」ものです。
重力が体を押しつぶす力が常にかかっているので、息を吐くときはこの力をモロに受けます。受けるのですが、それは呼吸を助けてくれます。風船から空気を抜く時は、風船を潰す力は助かりますからね。
しかしこの「崩れ」をなかなか許容できない。崩れてはいけない!と思っている人が大半ですし、我々はその様に教育されて来たし、「崩れを容認する」には今までの思考を変えないといけないぐらい、現代人には受け入れ難いものがあるのです。
そこで体操です。
崩れを受け入れるには「余裕」が必要です。「崩れても良いよ」と言えるのは余裕のある人です。
この余裕は、崩れる事の反対の力(価値)を持っていると生まれます。
崩れる反対の力とは、しっかり骨格で立つ力です。この実感と自信があれば、自分が崩れてもいつでも立ち直せる余裕があるのでヘッチャラの気分になれるのです。
実際に、呼吸法だけ行っている人が体操で自分の骨格感を掴むと呼吸法が劇的に上手くなります。
私は常に「骨」「骨」と言っていますが、骨は手応えを与え、自信を与え、その結果「崩れてもOK」という余裕まで持って来ます。
先ほど「崩れを受け入れられない現代人は多い」と書きましたが、それはそのまま骨を使えていない人が多い事と同義だと思っています。
体操が上手くなって骨の実感が出てくると、皆さん綺麗に息を吐き始めます。綺麗に体が潰れて行きます。
しっかり潰れるので、吸う息のありがたさも増して行きます。
実力が備わると余裕が生まれ、その結果自分を崩す力すらも良い事に変換して利用できる。
この事が示唆するものは、いろいろな事に言えるのではないかと思っています。
体から出てきた言葉を書いて行こうと思います。 読んでくださってありがとう。
- 平成15年5月より奈良県大和郡山にて開業。奥中式腹部調律整体を中心にして体から余計な力を排除し、骨格を正して重力と親和させます。生きていくのに本当に必要なものは自分の中から湧き上がる。お問い合わせはお問い合わせフォームよりお願いいたします。