2024-01-13

集中力

昨年、わざわざ山梨からうちに整体を受けに来て頂いた男性が居て、30年前に井本先生に直接体を取ってもらったそうです。
「井本先生には命を救って頂いた」という言葉から始まるそのお話は、二階から落ちて骨盤骨折の大怪我をしてしまい、その処置は普通に病院で済ませて退院したのですが、そこから呼吸ができないという症状に悩まされて一時はもうダメなんじゃないかと思ったそうです。
骨折の様な大きな入力は様々な形でエネルギーを残します。
事故の瞬間の精神的なショックもその一つです。
車を運転中、事故になりそうになって「危ない!」っと思ったあの緊張は、事故に至らなくてホッとした後も残ったりします。まして本当に骨盤を骨折する様な大きな入力があると精神面と物理面の両方で力が抜けなくても不思議ではありません。
そんな状況の中、本屋さんで井本先生の本を見て「これしかない」と思い整体を受けに行ったそうです。

とにかく息が吸えない。
体が緊張して動かないのです。弛めようと意識するほど緊張します。物事は陰陽ですから、弛める事の重要性への着目は、それが今の自分にない事の確定となって意識するほど固まります。
明日は早起きだから寝なきゃ寝なきゃと思うほど寝れませんよね。
息が吸えない、吸った空気が少ないから吐けない。吐けないから吸えない。陰陽の連続性がないので座標がありません。自分が遭難している事は分かるが前にも後ろにも行けない状況です。キツかったと思います。

私は問診中ですが、もうその話の続きが聞きたくて聞きたくて仕方ありません。
結局どうしたのか。
5分ほどの施術で呼吸反転です。
一気に勝負をつけます。ただ一点、急所だけに集中して体を我に返らせます。
全部引っくるめてリセットです。
もの凄い集中力だろうと思います。
井本先生は著書の中で、相手の急所を取るべく呼吸の間隙を狙った際、相手の呼吸とタイミングが合わず自分の親ゆびを骨折した事も書いておられます。それぐらいの集中力です。精神的にも物理的にも一点に力が集中します。

この方がうちに来られた主訴は全く別の症状のご相談でしたが問診後に施術に入り、やはり井本先生の施術の残響というか足跡というか、それを探したくなるのが整体師の心情です。
お体にはまだ当時の事故の緊張がありました。それぐらい外部からの入力は残るのです。
しかし綺麗な体でした。「綺麗」というのは、悪い事が悪い事として素直に出ている事を言います。
誤魔化していない、嘘がない体です。
肋骨周辺から急所を追って、ここを取ったんだよなあと想像します。
体に残っている緊張から察するに、30年前はとてもじゃないけど触るのが怖い体の硬直だったろうなと予想できます。触ると割れてしまいそうなガラスの様な、一歩間違うと危ない状況。それを一瞬で、一発で、恐れず、確信して、一気に、一呼吸で急所を取ったお姿が浮かびました。

実は私も整体の世界に入ってすぐの頃に井本先生に直接体を触ってもらっています。
京都の一般参加型の勉強会で、一般人とその当時井本整体で生徒として勉強している人が先生という形でペアを組んで体操や施術を行う勉強会でした。
一般人と先生を合わせて数百人の規模だったと思います。
私は何故か若いスイス人の先生とペアを組まされ、来日してまだ間もなかったその先生と日本語と訳のわからん子供みたいな英語を入り混じらせて必死に練習していました。
スイスからわざわざ整体を勉強に来た目的は、知り合いが交通事故に遭った際に西洋医学ではどうにもならない状況に陥ったのに整体施術によって回復した姿を見て人生を賭ける決意をしたそうです。
単身で異国の地に来て、さらに身体技術を習得しようとする気概は静かな迫力がありました。
でも日本の高速鉄道の料金は高すぎると言っていました。

会場には井本先生も来られていましたが直接指導や講義をされる事はなく、後ろで手を組んでゆっくり会場を歩いて回って静かに練習風景を見ているだけでした。
その場に長年生えている木みたいな雰囲気でしたね。
講義の中盤ごろに肋骨を取る施術がありまして、私が受ける側になってペアの先生(スイス人)とゴニョゴニョやっていると、後ろから「違う違う、こうするんだ」と言う声と共に大きな手がスッと私の肋骨に入って来ました。
大きな大きな手でした。
私の肋骨を手で触る前から大きな手でした。私の背中側に来られた時点で大きな手でした。
ただ次の瞬間、練習そっちのけで会場中の先生(生徒さん)が私の周囲を取り囲んでいて、ビデオを撮ってる人もいれば写真を撮っている人もいれば、乗り出して凝視している人もいればメモをとっている人もいるという状況になっていて訳がわかりませんでした。
後で聞きましたが、合同勉強会で井本先生が誰かを直接触るなんてあり得ない事だったそうです。

この時の感触は日に日に鮮明に蘇ります。
男性のお体を追いながら、あのゆったりとした大きな手とは対極の、一点局所の集中力で突破する手を想像します。
中途半端に取りにかかると逆に全部が壊れる様な緊張硬直状態だったろうと思います。
そして、男性のお体には今もまだ緊張が残っている様に、普通で言えばその後のケアとしてまだまだやれる箇所があるのです。それを見向きもせずに一点だけを凄まじい集中力で取ってある。
生きる上で絶対に必要な部分だけは確実に取ってある。それ以外にもやれる事はあるけど、またご縁があれば来てください、で置いてある。
この切り分けは「真剣」でないとできないのです。真剣に集中していないとできないのです。
取った部分も凄いけど、この残った部分も凄いのです。この残り方に私は圧倒されたのです。
30年経って、その部分に少し、手を入れておきました。
あの京都の大きな手を思い出しながら。

井本先生の言葉に
「人の体を触って整えているうちは半人前、触らずに整えられる様になれば一人前」
というのがあります。
まさに私は30年前の井本先生の施術を受けたという方の話を聞いただけで、追いかけ、想像し、思い出し、真似てみて、真剣になり、集中し、心を込めた。
30年前の井本先生に整えられたのです。
直接会ってもいない、しかも他人の体を通して、整えられたのです。
私は井本先生の様に30年後の誰かを整える事はできなくとも、人の行いが必ず残る事は分かる。
私たちの行いは関わったものに宿るのです。
30年後の誰かに見られていると思えば、今やるべき事が自然と勝手に分かると思います。
今どう生きれば良いか分からない人、何をして良いか分からない人には、その時の解決策ではなく
「30年後にまた会おう」と言って、命の温もりだけ残せば良いんじゃないでしょうか。
その想いが真剣なら、30年後にまた会えますよ。

体から出てきた言葉を書いて行こうと思います。 読んでくださってありがとう。

奥中伸
奥中伸
平成15年5月より奈良県大和郡山にて開業。奥中式腹部調律整体を中心にして体から余計な力を排除し、骨格を正して重力と親和させます。生きていくのに本当に必要なものは自分の中から湧き上がる。お問い合わせはお問い合わせフォームよりお願いいたします。
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